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執筆者の写真BSAJ

ボーディングスクール歴史上人物紹介シリーズ #新島襄

こんにちは!2021年に米国Phillips Academy Andoverを卒業したりんです!今回は同Phillips Academy に約100年前に在籍していた新島譲について書いてみました!こんな日本の偉人がボーディングスクールに通っていたのかと、読んでみると面白いかもしれません。そしてこれをきっかけにボーディングスクールについて知って頂けたら嬉しいです!



ボストン郊外に位置するフィリップス・アカデミー・アンドーバーのメディカルセンターの前を通る何やら漢字の書いてある石碑があるのが見える。石碑には「良心の全身に充満したる丈夫の起こり来らんことを」の文字があり、裏には英語でその訳が書かれている。実はこれは同志社大学を設立したことで有名な新島譲の誕生150年を記念して日本から贈られたものである。新島襄は1865年から1年8か月をこのフィリップス・アカデミーの英語科で過ごした。当時日本は開国をしたばかりで学業や商業目的での海外渡航は禁止されており、更に船による渡航の危険性も考えると相当な覚悟で渡米を決意したことがうかがえる。彼は洋楽や数学を学び、やがて渡米経験のあるジョン万次郎に指示したこともあり、海外に強いあこがれを抱いていたのだ。そのような事情があり、アメリカのボストンに何とかたどり着くことが出来た彼はその純粋な志に感銘を受けたハーディ夫妻に養子同然として受け入れられた。実はこのハーディ氏はアンドーバーでの学園理事を務め当時の校長E・A・パーク教授ともつながりがあり、彼はアンドーバー在学中に気にかけられていたようだ。当時のアジア人の少なさを考えると多様性を受け入れる心は当時からあったのだろうか。また、新島襄は在学中にキリスト教の洗礼を受けクリスチャンになりました。アンドーバー卒業後はアマースト大学で理学の学士号を取得(日本人初の学位取得)。そして帰国間際に日本でのキリスト教の教育機関の設立を訴え5万ドルの寄付金を集めこれがのちの同志社大学となった。日本人の誰も渡米を考えすらしなかった時代にアメリカに渡り、アメリカ屈指のボーディングスクール、大学で学んだのち日本でのキリスト教主義大学の設立という形で信念を貫き通した彼のバイタリティーには目を見張るものがある。また、成長を望む学生を良い方向へ導くフィリップス・アカデミーの教育方針は今でも色濃く受け継がれていると感じた。



参考文献


田島繁. (2010). 新島襄の足跡を辿る~欧米編と京都・安中ウォーク. 同志社スピリット・ウィーク「講演」.https://www.christian-center.jp/dsweek/10sp/0601_2.html


歴史マガジン編集部. (2018). 【新島襄と同志社】幕末に国禁を犯して海を渡った男. 歴史マガジン.https://rekijin.com/?p=28544


元井康弘. 新島襄の恩師たち「新島伝の謎─ 授洗者は誰か ─を解く」.(62-69). https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-2331/75328/file/11_141_062.pdf



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