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執筆者の写真BSAJ

ボーディングスクール歴史上人物紹介シリーズ #槙原稔

こんにちは!

BSAJメンバー、St. Paul’s School ‘24の山内玲人です!

ボーディングスクール歴史上人物紹介シリーズ第2弾では自分が今通っている学校、St. Paul’s School 卒の槇原稔さんを紹介します!


槇原さんの紹介をする前にまずは軽く自己紹介をしたいと思います。

私は新11年生で、東京都にある私立成蹊高校から交換留学生としてSt. Paul’s Schoolに通っています。St. Paul’s Schoolはアメリカのニューハンプシャー州にある全寮制の学校であり、また10スクールの一つです。成蹊高校とSt. Paul’s Schoolの交換留学の歴史は1949年に始まり、2022年で73年目です。そんな歴史ある交換留学プログラムを始めるきっかけをつくったのが今回紹介する槇原稔さんです。


槇原さんは1930年にロンドンで生まれ、1937年に日本帰国したのち、成蹊小学校に入学します。しかし太平洋戦争の影響で箱根に疎開するなど、戦争の影響を大きく受けます。そして戦争が終わり通常の学業が始まると、ハーバードに留学したいと思うようになります。そんな中、槇原さんはバイエル主教というアメリカ人と親しくなります。槇原さんがハーバードに進学したい事を知ったバイエル主教は、「あなたをSt. Paul’s Schoolという学校に入れることができ、そこで良い成績で卒業できればハーバード大学に入学することもできる」ということを伝えます。それを聞いた槇原さんはSt. Paul’s Schoolに入学することを決心し、1949年の夏、貨物船でアメリカに向かうことになります。槇原さんがSt. Paul’s Schoolに在籍していたのはわずか1年でしたが、非常に楽しく、将来につながる貴重な体験だったそうです。そして卒業する際にSt. Paul’s Schoolの留学担当の先生に、彼の後継者となる人を成蹊からぜひ招きたい、ということを言われます。こうしてSt. Paul’s Schoolと成蹊高校の長年の交流が始まりました。


St. Paul’s Schoolを卒業した槇原さんは目標だったハーバード大学に入学します。ハーバード大学卒業後は一度日本に帰国したのち、1971年に三菱商事のワシントン事務所の初代社長につきます。その後は米国三菱商事社長を経て三菱商事社長・会長・特別顧問や成蹊学園理事長などを歴任しました。


こうして生まれた歴史ある両校の交流の一環として行われている交換留学で1年間St. Paul’s Schoolに通い、自分は様々な経験をすることができました。例えば、秋学期と春学期にはガラス工芸の授業を取ったり、冬学期にアフタヌーン・アクティビティのロボティックスで競技用のロボットを作って大会に出たりしました。また、友達と一緒に湖で泳いだり、学期に一回あるダンスパーティーなど、もちろん学業は忙しく大変でしたが、それと同じ以上の楽しい経験を沢山しました。そしてそんな事を自分が経験できたのは槇原さんが成蹊とSt. Paul’s Schoolの関係を切り開いてくださったからです。


そんな槇原稔さんは2020年12月13日に逝去されました。ここにご生前のご功績を偲び謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




槇原, 稔. “The Seikei-SPS Alliance: How It Started.” Seikei-St. Paul’s 70th anniversary, 3 March 2020


https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ213G00R21C20A2000000/



左上から時計回りに:ハロウィン、ロボティックスの大会(1)、※物理の授業内でのコンテストで優勝したとき、ロボティックスの大会(2)、ガラス工芸で作った作品たち、ニューヨークタイムズスクエア


授業は日本と比べてクリエイティブで楽しい内容のものが多い

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